【代表 内山インタビュー】研究、遊学、激務、世界一周。人生を一度やりきった20代

慶応大学と同大学院を卒業後、アクセンチュア㈱で活躍、その後若くして起業など、エリート街道を歩んできた内山さん。ロジカルなビジネスマンである内山さんは、なぜ『コドミーランドリー』を立ち上げたのでしょうか。
幼少期から学生時代の原体験、企業勤め時代、サービス立案の背景と苦労、今後の展望までを伺いました。
- 【前編】研究、遊学、激務、世界一周。人生を1度やりきった20代 ←今回はコチラ
- 【後編】洗濯サービスは手段の一つ。「子育てしやすい未来」を目指して
┃母の苦労を見ながら
― 内山さん、お子さんは3人とも女の子だそうですね。
そうなんです。9歳、5歳、1歳で、真ん中の子と下の子の送り迎えを妻と分担してるんですが、今朝は一番下の子を保育園に送ってきました。
― 内山さんも兄弟は多かったんですか?
3人兄弟の末っ子で、5歳上の兄と3歳上の姉がいます。
伊万里焼で有名な、佐賀県の伊万里市で生まれ育ちました。超ド田舎です(笑)。父はJR、母は農協に勤めていて、比較的かたい家でしたね。父方の祖父母も一緒に住んでいて、二人は農業をやっていました。
― 内山さんご自身も、共働き夫婦の元で育ったんですね。
そうですね。九州男児あるあるだと思うんですが、父は家事にも子育てにも関与しなかったので、母が働きながら一人で全部やっていました。
義理の両親にも気を使いながら、仕事と家事と子育てと休む間もなく働いていて、今考えるとすごいなと思います。本当に尊敬しますし、私がまっとうに育ったのは、母が愛情を持って育ててくれたおかげです。
― お母様は、今で言うところの「ワンオペ」の「ワーママ」だったんですね。
そうそう。当時の母には「そんなに頑張らなくていいよ」と言ってあげたいですけれど、楽なんてできない環境だったんですよね。時代、土地柄、色んな要素があって。

┃思慮深き少年、学びへの開眼
― どんなこども時代を過ごしたんですか?
すごくいろんなことを考えるこどもでしたね。もともと体が小さくて、スクールカーストでは「中の下」あたりだったと思います(笑)。今思い返すとですが、学校の帰り道などでいろんな物事や人に対して「なんでなんだろう?」と常にいろんなことを考えるクセがあったように思います。
それと、算数は得意でしたね。
中学では卓球部に所属していましたが、全然練習せずに部室で遊んでばかりいました。2年生のときに3年生の引退試合に参加しましたが、最後のダブルスの試合で私のミスかパートナーのミスかで負けてしまって、そこで終わってしまったんです。
もう、大号泣して。「もっと練習すればよかった、先輩に申し訳ない」と。もともと負けず嫌いな性格もありますが。
高校では部活に入らず、毎日カラオケとボーリング三昧でしたが、2年生の後半にふと「自分には何もないな」と思って。部活やバンドに打ちこんでいる人もいるのに、自分にはそういうものがない。
そこで、「ちょっと勉強を頑張ってみようかな」と思ったんです。
テストは出題範囲が決まっているし、全部100点取れば1位取れるんだから、1回全部100点取ってみようと思ったんです。ゲームをクリアする感覚に近かったです。
― まさか、全部100点取れちゃったんですか?
さすがに全部は無理でしたが(笑)。100点じゃなくても95点とかで、一気に校内1位になりました。県模試も以前は1000位くらいだったのに、一気に数十番まで上がって、夏には4番になって……。
校長先生とすれ違うたびに、「内山ぁ~♪」と、肩もみされるようになりました(笑)。
― 校長先生(笑)。
本当に、周りの視線がガラッと変わりました。あれが自分の中で大きな成功体験として残ってる気がします。
┃戦略の大切さを学んだ学生時代
― 見事慶応大学に進まれましたね。
大学では「物理情報工学科」という学科で、経済寄りのことを学びました。簡単に言うと、「最適化理論」の視点から「ゲーム理論」を研究していました。
「ゲーム理論」は経済の理論で、人の行動って厳密にモデル化するのは難しいんですが、それを超シンプルなモデルにして、ロジカルに説明するんです。
色んな目的を持ったプレイヤーが、世の中の制約条件も加味しながら動いた場合、どのような形に落ち着くのか。それをシミュレーションする研究です。
世の中って、まさにそうじゃないですか。それがすごく面白くて。

― 大学時代から、社会問題の基礎を扱っていたんですね。
そうなんです。おかげで、世の中の物ごとを数字で語ったり、その数字を図示したり構造を整理する技術を身につけられました。これは、社会人になってからもずっと役立っています。
今でも、「ゲーム理論」と意識することこそないですが、事業運営をする中で、自社、ユーザー、関係者それぞれの目的を意識したうえでどんな行動をと取りうるのか、というのを突き詰めて考えている点は、この時の研究と共通している気がします。
― ここまで実学を学べたのは幸運でしたね。
そうですね。さらに大学院時代は、米国のロサンゼルスでビジネスとリーダーシップを学ぶ「CVS Leadership Institute」というプログラムに参加しました。4人ずつで6チームくらいに分かれて、スポーツやテスト、演劇、コンサルティングみたいなことを行いながら、ポイントで優勝を競い合うNPO団体です。
うちのチームは割と地味でしたが、なんと優勝できて。ちゃんとルールを理解して、各々が持つ良さを引き出しながら戦略を立てれば、成果が出ることを学びました。
┃激務な企業戦士、脱サラして世界一周へ
― 新卒でアクセンチュア㈱に入られましたね。
幅広い業界、いろいろなセクションのプロジェクトに配属されて、入社当初はとにかく奮闘していました。海外展開の戦略立案、新規事業の立案、大手小売業のEC事業立上げ、コスト改善、マーケティング戦略、、、などなど、さまざまなプロジェクトを支援していました。

とにかく負けず嫌いなので、平日休日問わず、毎日2~3時間睡眠の時期もあったり、ひたすら働いていました。当時培った忍耐力、資料づくりのスキル、工数の感覚、事業に対する感覚などは、今もすごく役立っています。
― 若くしてビジネスの基礎を身につけられたんですね。
ありがたかったですね。その年の中では最短でマネージャーに昇進させてもらいましたが、昇進直後の4年半勤めたのち退職しました。
― なぜ辞めたんですか?
世界一周したいなって(笑)。それまでも長期休暇では妻とよく海外旅行に行っていたのですが、行きたいところがありすぎて「もう、まとめて行っちゃう?」って。
もちろん、キャリアとしては大事な20代の間に1年も空白になる不安はありましたが、私の信念は「後悔しない方を選ぶ」。後から考えたときに後悔しない方を選択したいんです。
それで、行きましたよ。1年で36カ国。
2013年の秋から2014年の秋のことでした。
― 36カ国!いかがでしたか?
今後のことは考えず、ひたすら楽しんでいましたね。
世界遺産を巡ったり、ウユニ塩湖などの大自然を堪能したり、アマゾン川を流れる船でハンモックに寝たり、アメリカを車でぐるっと1周したり、スラム街を見たり。基本的には節約旅行でしたが、たまには贅沢してディズニーワールドに行ったり、豪華客船で南極クルーズしたりもしました。
ありきたりですけれど、色んな文化、色んな身分、色んな人に触れ合って、ものすごく振り幅の広い経験をしました。
これで1つ大きな夢が叶ってしまったので、人生がリセットされた感じがしましたね。
おかげで今、何のシコリもなく、思い切り次の目標に向かえているのだと思います。
お母様の愛情を受けながら育ち、ロジカル思考とグローバルな視座を育んだ内山さん。世界一周から帰国したあと、いよいよ第二の人生が幕開けします。
Interview & text 安藤小百合